日本人が「出る杭」を打つ理由
日本人は出る杭を打つ!
良く言われることですが、日本人は出る杭を打ちます。
オンライン上で見られるデジタル大辞典では、
1 才能・手腕があってぬきんでている人は、とかく人から憎まれる
と書いてあります。
これは日本人の民族性を的確に言い表していることわざの一つですが、どうして日本人はこういう心理に至るのでしょうか。
一つの理由として日本人の横並び意識、二つの理由として日本人の嫉妬心の強さ、三つの理由としてコンフォートゾーンが崩される恐怖、四つ目の理由として集団サディズムがあります。
一つ一つ見ていきましょう!
①日本人の横並び意識
一つの理由として横並び意識の強さにあります。平等志向と言い換えてもいいですが、これは他人と立場や境遇が同じとするならば、同じ利益を享受する事が出来るという思い込みにもつながります。
そして「出る杭」は能力そのほかが抜きんでているので、同じ立場なのにより多くの恩恵を受ける事になる。これは憎らしい。
こういう心理プロセスが出る杭が打たれる一つの理由です。
②日本人の嫉妬心の強さ
ところで嫉妬心は人間は誰でも持ち合わせている感情ですが、特に日本人は平等志向の強さから、人に嫉妬を覚える程度が諸外国の人より強いです。
皆さんも人は人、自分は自分と割り切りたいが、なかなかうまく自分の感情をコントロールできず、例えばSNS上の知人や友人に嫉妬心を覚えた経験はある事だと思います。
つまり現代社会は人間の動きがSNSを通して可視化されるので、非常に嫉妬を覚える時代になっています。
そう考えればKY(空気が読めない)という言葉も、「出る杭」に対する嫉妬の表れの言葉かも知れません。
皆、自分と同等のレベルでいてほしいし、他人にむやみやたらに羨ましがりたくないのです。
③コンフォートゾーンが崩される恐怖
ところでコンフォートゾーンとは耳慣れない言葉かもしれませんが、単に自分にとって居心地のいい空間の事です。不快や不安な気持ちにならない雰囲気や状況が前提です。
しかし「出る杭」がいると、その人間に影響されて快適な空間が崩されてしまいがちです。自分より能力がありできる人は、とかく自分の存在価値を脅かすものだからです。それゆえの自己防衛手段として、その相手を憎むようになり、場合によっては排斥するようになるのです。
④集団的サディズム
そして横並び意識の強さは集団志向へとつながり、異質な人間に対する集団サディズムへの契機となります。
日本人は集団でいる事の方が個人よりも数段価値が高いと見なされ、集団になると、気が大きくなるというか、変質する場合があるのです。
これは個人ではできない事でも、集団に帰属する事でできるようになるという事でもあります。
いじめが一例ですが、「出る杭」も場合によっては、鬱屈した情念の塊の人達のターゲットにされる場合があります。
出過ぎた杭になれ!
「出過ぎた杭は打たれない」これはかの有名な松下幸之助さんの名言です。
出る杭は中途半端に目立っているので、他の日本人の怨恨を買いやすいですが、圧倒的に傑出してしまえば、逆に認められるようになるという事です。すご過ぎて逆に特別扱いされるという事で嫉妬の対象から外れるという意味なのです。
出過ぎた杭になろうとするには勇気や覚悟が必要かもしれません。
KYや偽善者などの非難や中傷で、人々の嫉妬や妬みを買いやすいのも確か。
しかしそれで満足に生きれますか?と言いたい。
死ぬ間際に後悔する事として、もっと自分のやりたい事をやればよかったと語った人が多かったという研究があります。
自分のやりたい事を人の目を気にせずやる!というのが長い目で見れば幸せなのです。
皆さんも日本人式に目立たずひっそりと周りに合わせるより、その逆にアホほど目立つ・抜きんでるようになりましょう!
日本人は何故年齢で人を判断するのか?
日本人は人の年齢を気にする事が多い!
ネットとかで見るとやはり日本人は人の年齢が気になるものですね。
私の周りを見回しての実感としてもそうですが、一体どうしてなのか?
フリーアナウンサーの楠田枝里子さんもこのように言っています。
今回はその謎に迫ってみたいと思います。
結論から言いますと、相手の年齢を確認する事によって、相手と自分の関係性がある程度可視化されて、安心するからです。
日本人の組織や集団は上下関係が厳しい所が多く、上・下の地位や立場によって態度を使い分けます。もちろんフラットな雰囲気の職場もありますが念のため。
そして年齢が上の人は、立場が上な事が多いので、相手との距離感を上の立場を演出する事によって図れるのです。逆なら同様でその場合は、丁寧語や尊敬語を使って相手への尊敬の念を表します。いうなれば先輩や上司や部下の言葉もありますように、相手との上下の関係性で人を把握するのが日本人の習わしです。
でも年齢だけじゃないと思いませんでしたか?
確かに年齢は判断の目安であって全てではありません。人との関係の体のいい尺度が欲しい、それが年齢という事です。キーワードは安心です。
それでは人を年齢で判断する事による3つの理由を挙げてみます。
日本人が人を年齢で判断する3つの理由!
1:安心感を得る
先ほどから述べましたが、最も重要な理由ですね。やはり相手が何者かを知る為の共通の尺度として、年齢を気にするようになります。上の年齢なら敬語を使い、下の年齢なら敬語やタメ語と使い分けられ、接し方があらまし分かるのがメリットになります。
年齢による上下関係があらまし分かるので、ある程度接し方が確認できるのが安心という事です。
2:レッテル貼り
日本人は20代なら20代、30代なら30代と、年齢によっての固定観念が強いです。この場合は、○○であるべきや△△が普通といったような事です。
例で言いますと40代で独身なら普通でない、30代男性でサラリーマンなら普通といった感じです。
よく人生はレールに例えられますが、人を年齢でレッテル貼りする事で、相手は人生航路においてこの位置にいるなという事を確認するのです。
3:儒教の影響
日本人の思想や価値観に影響を与えている教えは色々ありますが、やはり儒教の教えが最も強いです。仏教や神道はどちらも日本人にとってのコアな思想ですが、現実的な側面や物の基本的な考え方になるとやはり儒教になります。
その儒教の教えの一つに長幼の序というのがあり、意味は年長者と年少者との間との間にある秩序の事です。
そして長幼の序の理屈に従えば、年齢で人を判断する事は、自然と育まれていきます。
日本人の年齢判断は時代錯誤!
はっきりいって、今年齢で人を判断したいる人はやめましょう。
何故なら年齢は人の属性の一部分を表すものに過ぎないからです。余りにも日本人は年齢での決め付けが多い。例えば40代で独身の男女を白眼視する風潮など。
そういう事が自分たちの可能性を大いに狭めているという事に気付かないのでしょうか?
また時代は多様な価値観をどう受け入れていくかという時代に突入しています。これからの時代は他者の視点に立って物事を見る想像力が求められます。
どうでしたか?日本人が人を年齢で判断するのは、それなりの理由があってこそです。また年齢をお互い把握していると、年齢差に応じた対応をすることで、秩序を保つ事ができるようになります。皆さんの参考になれたなら幸いです。
関わってはいけない人たち5選!
関わらない人を選ぶ
私の考えですが、人生は一度きりなので、友人や仲間を選ぶ際には、当然自分にプラスの影響を与えてくれる人がいいです。
ただ人間の性格は本当にバラエティー豊かなので、社会には有害な人たちも多くいるわけです。
皆さんはどうですか?付き合っている人達はどのような人たちでしょうか。
ここでこういう輩とは付き合うなという性格を5選!ピックアップしました。
1ネガティブマインド
ネガティブマインドとは要するにマイナス思考の事です。
マイナス思考だと何でも物事を悪く悲観的に捉える傾向があるので、なかなか楽しい時間を共有する事は難しいでしょう。
あまつさえそういうマイナス思考に感染してしまい、自分も物事をネガティブに見てしまう癖が付くかもしれません。
もちろん人は誰でもネガティブに考えてしまう場合はあるものですが、それが行き過ぎるのは考え物だという事です。
やはり人間付き合うならネガティブよりポジティブな人ですよね!
2計算高さ
計算高すぎる性格というのも関わっていくには考え物だと思います。
要は自分の何らかのメリットになる人間だけ付き合うし、そうでなければ付き合おうとしない。そしてメリットがなくなったらあっさり裏切るでしょう。
自分の利益の為にどのように人間を有効活用するか、どうしても人を利用するという視点で見てしまうので、純粋さにすごく欠けるし、人間としての魅力も薄いでしょう。
もちろん人間生きていくにはある程度の計算は必要、ただ計算高すぎるのは良くないです。
3上から目線
そして上から目線、あるいは人を対等な視点で見れない人たちというのも敬遠したい。
体育会系のシステム的な上下関係とは別に、自分より上か下かでしか人を見れないという困った人たちです。
こういう人たちは自分より上と認めた人には平身低頭あるいは服従意識が芽生えるのに対し、下と見たなら上から目線で支配・抑圧して来るでしょう。
相手次第で態度をはっきり分けるというのもこれに当たります。
4怒りっぽい
誰だって人に怒られるのは嫌ですよね!?皆さんはどうですか。
怒りの沸点が低いとも言いますが、ちょっとした事でカッとなりやすい人たちも関わってはいけないと思います。
怒りは特に影響を受けやすい感情なので後あとまで響くし、いい気持ちがしない。
また衝動的な人間も同様で、理性で欲望や感情を適切にコントロールできない、もっとも敬遠したい人たちです。
5何でもかんでも批判
人間批判する気持ちは重要です。そうでないと相手に思うがままに言い包められてしまいます。
ただそれは自分の意見や見解に沿った形での批判という意味です。批判の為の批判ではありません。認める事は認める、批判する事は批判する、そういうメリハリが大切です。
何でもかんでも批判というのは、相手の言った事や行いをとりあえず否定・非難してしまう事で、こうなると一緒にいてもイライラする事が多くなるでしょう。
またこういう人達は内心では自信のなさを抱えてることが多いのも特徴です。自信がないから過度に批判、あるいは攻撃したがるのです。
自分の気持ちに正直に
なるべくなら関わってはいけない・避けるべき性格を5選ピックアップしてみました。
皆さんはどのような感想を持たれたでしょうか?
ただ言えるのはやはり自分の気持ちに正直になって関わりたいか、そうでないか決めるのがベターです。
人間どんなに好きな人間でも少しくらいは嫌な所があるものです。
そして関わってはいけない性格の特徴であっても、何らかの要因で好ましく感じたりしたなら、やはり付き合っていくのも一つの選択です。
それは一概には言えないのが人間関係だからです。
心の闇について
心の闇とは
マスコミの安直な使用
マスメディアが好んで使う心の闇という言葉。これを皆さんどう思われるでしょうか?
もちろん闇とは心あるいは感情の暗喩表現であると思いますが、何を持って闇というのか。適当に粗雑に解釈したがるマスコミの悪い癖なのでこういう言葉には引っかからないでください。
マスコミ批判はやめにして(笑い、人間の感情の嫉妬心や憎しみなど、特にネガティブな感情を心の闇という風に表現している感じがします。ただはっきりと具体的に言い表していないし、ぼかしているし、あいまいな表現です。
闇が表すもの
人間には当然心の闇がつきものです。この事に異論がある人はいないでしょう。
光があれば闇がある。ロールプレイングゲームの設定にもありそうですが、人間にはどうも二元論で物事を考えてしまう癖があるようです。
天使に対する悪魔、正義に対する悪という風に。そして心の闇も同様で心のポジティブで健康的な部分に対する反義語のニュアンスが強い。
その正体とは前述しましたように人の心の負の感情である嫉妬心や憎しみですが、他には無意識に抑圧したコンプレックスや欲求不満やトラウマ体験もあるようです。もちろん言葉自体に一貫した定義がないので、私なりの解釈です。
臭いものにふた
人間の性格の陽性である明るさや笑顔や人付き合いの良さに比べると、陰性である心の闇に該当するネガティブな感情は、多くの人にとって好ましいものではないでしょう。
臭いものに蓋をするという諺があります。オンライン辞書にはこう記されています。
悪事や醜聞などを、他に漏れないように一時しのぎに隠そうとするたとえ。
もちろん心の闇自体に悪事という意味はないですが、他に漏れないように隠そうとする対象である事は一緒です。露見すると可哀そうやメンヘラなどと、言われもないレッテル張りの被害を受ける可能性があるからです。
しかし人間の心には明るい所と暗い所どちらもあります。性格的に明るく振る舞っている人だって、プライベートの空間だと悶々と個人的な悩みを抱えてるかもしれません。ただ人に見せない、それだけです。
自分の心の闇に気付け!
ここまで読んでこられた皆さんの中には、自分には心の闇なんてないよと思っている人もいるかもしれません。
しかし良くない印象の言葉ですが、誰にだって程度の差こそあれ心の闇はあるのです。
それは他の人と共有したくない個人的な問題であったり、引け目や劣等感であったりします。
またあえて自分のそういう嫌な側面を観ようとしない人もいるかもしれません。
しかし勇気を出して自分の心の内部に目を振り向けて下さい。
その場合自分に嘘をつかない、悲観的あるいは劣等的に捉えようとしないと心掛ける。
あくまで人間の自然的な性質の一環だと思えば、新たな発見があるかもしれませんよ。
正常性バイアスとは?
人間の思い込みの危険性
ところで皆さんは正常性バイアスという言葉をご存知でしょうか?ざっくりいうとこれが普通であり通常であるという思い込みに捉われて、状況の変化に対応できないようなバイアスです。
例えば以前こういう大惨事がありました。
【御嶽山噴火1年】生還女性が初めて語る「あの時」 「焼け死ぬのか、溶けるのかな…」(1/6ページ) - 産経ニュース
2014年にした発生した御嶽山噴火では58人もの尊い人命が失われました。
不幸にも亡くなられた人の中には、火山が起こる可能性について全くそのリスクを過小評価していた人も少なくなかったかもしれません。あるいはまったくゼロで火山の可能性を認識してなかった人も。
もちろん何か物事に取り組む上では、起こると好ましくないリスクについての可能性を考え、準備や対策をするという事は大切です。
そうすればしなかった場合よりも、より適切に物事に対処できるようになるからです。
そして物事の正しい認知を歪ますような正常性バイアスの罠に嵌るような事も少なくなります。
ネガティブ体験の効用
人間は誰でも自分なりの思い込み≒バイアスというのがあって、その通常的な主観のフィルターを通して、様々な現象や物事を判断しようとします。
いわば誰でもある程度の恣意的なバイアスに支配されているわけで、裏返すと完璧に客観的な見方や観点はないという事です。
では何故悪くなるような状況の変化に対応できないバイアスが形成されるのか?
コロナ問題もそうですが、刺激に対する慣れというのもあります。
ずっと自分の身に問題がなかったのだから、これから先もないだろうというポジティブな経験に対する慣れです。
逆にいうと例えば自分の身内が感染したりすれば、警戒心や不安が醸成され、自分の感染リスクに対する認識は深まる事でしょう。身内の感染がコロナに対するネガティブな経験になるからです。
昨今のコロナ感染者急増の原因は政策の失敗というより、こういう所もあると思っています(20/11/29現在)。
つまり人間はネガティブな体験をすれば、それに対する意識の高まりの為、自分にとって都合の良いバイアスから解除される可能性が高まるのです。
また自分のリアリティから抜け出し、多面的に物事を見る観点が生まれます。そうするとリスクの危険性を過小評価したりするケースがグンと低くなる事でしょう。
正常性バイアスの仕組み
私の見解では正常性バイアスは意識の心掛け次第では大分と減りますが、完璧にはなくす事は難しいです。いちいち物事の認識の点検をするのは脳に負荷が掛かりすぎて疲れるし、やはり快適な状態に保っていきたいからです。
また人間の認知の仕組みとして、過去に体験した様々な出来事より導き出され・抽出化された観念や概念、それらに基づく正当的な意味や解釈の方が、現前に展開する事象や物事の変化をそのままに認識しようとする姿勢より優先されるというのがあります。いうなれば意味や解釈のフィルターを通して、実際に展開する物事の動きや状態を推理・推測するのです。
こういう認知のシステムが普通に生きてる限りは機能するので、事前に得た知識や情報を元に構築される、(自分にとっての)世界に対する正常性をどうしても信じてしまうという事になります。
しかし前述しましたように意識するだけで大分変わります!
これを読んでおられる皆さんがこういった認知のカラクリを気付き、正常性バイアスの罠をなるだけ回避されるようになれれば幸いです。
日本人が他人に無関心な4つの理由
日本人はどうして他人に無関心なのか?
皆さんは最近の日本人は他人に無関心だと思いますか?
イギリスのチャリティー団体「Charity Aid Foundation(CAF)」が、2010年から発表している「世界寄付指数」と呼ばれる調査での2018年の結果では、日本は総合値が128位で先進国ではもっと少ない。
昨今では「自己責任」という言葉が市民権を得た感じで、それぞれが自分の事は自分で処理するという意識を植え付けられたように思います。
この言葉自体にネガティブな意味はそんなにないのですが、やはり冷たいイメージを重ね合わせる人が多いでしょう。
とはいえ「自己責任」以前から日本人は他人に無関心だったのです。その理由について4つの視点から述べてみます。
理由1:接点がない
やはり相手との接点や関係性がないと、人に対して関心を持てようもありません。これは多くの日本人に共通している感覚です。
例えば同じ学校や会社に所属している人は、相手を個人的に知っていたり、同じ組織や集団に所属しているという共通点があるので、当然関心が持てる事請け合いです。
しかし赤の他人では相手に関心を覚える取っ掛かりが全くないので、無関心になるのです。
理由2:どう接していいかわからない
日本人に限らず世界中の人間は、自分の知らない人に対する接し方というのを良くわかりません。しかしその国の文化や宗教の助けを借りて、知らない相手との接し方を適当にやりくりできるようになるのです。
翻って日本人はどうでしょうか?
人に迷惑をかけてはいけない文化なので、なかなか自分からアプローチできない。何故なら間違った接し方で相手に不快な気持ちをさせるかもしれないから。こういうわけで相手に無関心にならざるを得ないのです。
理由3:メリットがない
これは現代的な理由でが、今の時代は色々目まぐるしく変化する情報化社会。色々と自分の事で忙しく感じている人が多いのです。とても他人の事を構っている余裕がない。
また下手に関心を持って構ったとしても、相手が全く知らない他人ですから、何らかのリスクに晒される危険性があるわけですし、メリット・デメリットで考えると後者の比重が大きくなります。損得で考えても、やはり他人に無関心にならざるを得なくなります。
理由4:周りにどう思われるか不安
日本人はすごく人の目を気にする民族です。この事に異論がある人はいないでしょう。
この点から見て、赤の他人に関心を持った態度をすると、相手にどう思われるか気になったり、自分たちの周りにどう思われるか気になったりします。知らない他人に話しかける事自体がすごく不自然な状況だからです。
こういう相手や周りにどう思われるか不安という心理が、赤の他人に無関心な態度として映るのです。
日本人よ、人に関心を持とう!
私も実はすごく周りの目を気にしてしまうタイプなんで、自戒の念を込めて述べると、やはりもっと他人に関心を持った方が良い社会が作れます。
例えば歌手の宇多田ヒカルさんのように東京の子育ては難しいと思うような事は少しずつなくしていけたらいい。
宇多田ヒカル「東京はなんて子育てしにくそう」に共感多数 - エキサイトニュース
当たり前ですが人に関心を抱き、例えば道案内の助けとかしたとすると、相手も心がホッコリします。そして温かい関心を寄せられた人はギブアンドテイクで、次は誰かにその温かさを分け上げたいと思う。
偽悪者になる必要はないんです!日本人は本来思いやりの心があるのですから、もっと素直に表現した方がいいと思います。
似た者同士がつるむのは何故なのか?
みんな自分と似た人が好き
似た者同士がつるむ現象、よく見かけませんか?もちろん組織上での上下関係とは別に、もっと横のつながりで自由に人と関係を築く場合において。
皆さんはどうでしょうか?私の場合数少ない友人を見ると、なんかフィーリングが似てるなあと思う所があります。
えっ、全く似てないですって!はい男女関係では似てない所が強調されて認識されるかもしれません。しかし同性の友人同士ではどうでしょうか?どこかの部分で似ているはずです。友人を想像してください。
そういえば昔の歌詞で悪そうな奴は大体友達というのがあったなあ・・。
安心するし楽しい根拠
人間の認知という観点からすると、自己の投影として他者を推し量ろうとする心理機制があります。投影とは文字通り投げかける影の事で、自己に帰属する性質や要素を客体の内面や行動において見る事です。この場合他人を認知する際、他人をそのままの性格に基づいて知ろうという事にはならず、他人を見てるつもりが自分を見ている事になります。いわば自分の性格のある要素を、他人の内面や行動においてまるで投げかけるようにして認知しようとする心理の働きなのです。
この投影心理が、悪い奴らは大体友達~という感覚に繋がっていきます。いわば自分にとって好ましい他者になりうるのは、ある程度動きや行動が読めて、相手の考えや気持ちが分かる人たちですよね?それは共感や感情移入できるという事を含みます。
そして色んな側面において共感できる他者程最も友人になりやすいし、仲良くなりやすい。そしてそういった条件を満たしてくれる場合が、ある程度自己投影化された他者として認識できた人達なのです。この仕組みが、あっ、こいつ分かる~というような感覚であり、なんかこの人気が合いそうだなという感覚を裏付ける根拠であります。
ミラーリングという技術
人間は自分と似た人間を好むという傾向は分った、じゃあ逆は全く友達になれないのかと思われたのではないでしょうか?確かに深いリアルな友達にはなれませんが、人間心理に関する技術を駆使する事で、表面上は仲良くする事は可能です。
ミラーリングとはまるで合わせ鏡のように、相手のしぐさや行動や言動に自分のそれらを合わせていく技術です。小手先とは言えばそうなんですが、相手に好ましい気持ちや親近感を植え付ける事は十分可能です。自分に対する共感や感情移入が引き起こされるからです。
例えばガサツな人間にはあえてガサツに振る舞い、支配的な人間には自分もそのように見せかけといった感じで、ある種カメレオン的な接し方であると言えます。もちろんコアな自分をしっかり意識した上で、あくまで技術であると割り切った上で実行してください。カメレオン人格が自分自身だとゆめゆめ混同しないよう。
どういう所が似てるか
人と比べる時にどういう所が似ているか調べてみると色んな発見がありますよ。物事の考え方であったり、知性や頭の良さの程度であったり、フィーリングであったり・・。
あるいは内面ではなく外部要因で、職業や出身校や生誕地であったりでも構いません。とりあえず似ているし、同一的な要素を見つければ、人と仲良くなれる可能性はあるのです。だからこの人と仲良くなりたいと思ったら類似的な要素を探し出して、その所のきっかけから戦略的に安心させ関心を持たせるという接し方もできます。
ただ最も重要な類似点は感性であり知性です。外部要因での親近感は本質的なものではありません。感性と知性、特に感性や感覚が似ていると感じた場合において、最も人と仲良くなれる可能性があります。例えば笑いのツボが同じカップルだったりした方が、価値観が一緒のカップルよりも長続きしやすいのです。